こんにちは( ・∇・)
ペタスです( ・∇・)
久しぶりに週末休みをいただいたのですがあいにくの雨嵐( ・∇・)
試合観戦に行こうと思い早起きしたのに高校野球の県予選大会も延期というじめじめした休日です( ・∇・)
そんなレイニーブルーな気持ちを吹き飛ばすようなお話を届けたいと思います!!
今回紹介するのは僕が高校で投手をしていた時にバッテリーを組んでいた女房役の話です。
はじめに
僕は小学生、中学生、高校生、社会人と野球をしてきました。
そんな中僕がこれまで出会った中で最高の選手(僕の女房役)がいましたので紹介します。
彼を紹介するうえでどのような人物がチームに必要なのかも見えてくるのではないかと思います。
今でも1番の大親友の彼と僕がどのような野球ライフを送ってきたのかなんかも紹介しつつお話ししたいと思います。
彼と僕の関係
まず僕と彼の関係についてですが、いわゆる幼なじみです。
小学校、中学校、高校と全て同じで昔から今も含め1番の大親友です。
小学校で野球を始めたのも同じタイミングだったし、もちろん中学高校と同じ野球部に所属しました。
家も近く、だいたい友達と遊ぶってなったら母も『また○○とだね(^^』
と認識させるほどいつも一緒にいました!
今はお互い結婚してなかなか頻繁には会えませんが、それまではほんとによく飲みに出かけたりしていました。
今でも週に3回くらいは連絡してますよーー(笑)仲よすぎ!!
彼のした大きな決断
さてなんだか急に深い話題となりましたが、彼のした大きな決断についてお話しします。
それはずばり・・・
『僕と同じ高校に進学したこと』
僕は小学生の頃からピッチャーとしてプレーします。
中学生の頃もピッチャーとして試合には出てたのですが、そこには絶対的なエースがいたため登板するときは2番手としてマウンドに上がることがほとんどでした。
★別の記事で僕の投手としての道のりや投手について思うことについても紹介させていただきましたので良かったら見てみてください★
でも幼なじみなんだから高校も同じところに行くって普通じゃない⁇
と思うでしょうがそこには彼の想いと葛藤があったのです。
彼には生まれ持った野球の才能があった
僕の中学校の野球チームは県内でも指折りの実力のある強豪校でした。
僕は控えの投手でしたが(ピッチャーしない時はファーストでちゃんとスタメンだからね!!)彼はそんな強豪校で2年生の頃からマスクをかぶっていました。
そしてチームの絶対的エースとともに2年生から3年生までバッテリーを組み名コンビとしてその名を轟かせていたのです。
中学生時代の彼のキャッチングやフィールディング、配球などキャッチャーとしての実力は当時同世代のライバルたちを遥かに凌駕してました。
さらに、俊足、強打者と中学生の時点で野球に必要なものは全て備わっていたのです。
エースに関してもその球威や変化球のキレは当時中学生が打つのは不可能なのではないか?
と言われたほど洗礼されていました。
もちろんそんな実力のあるバッテリーを県内の強豪高校はこぞって獲得しようとします。
彼ら2人の元には甲子園常連校の指導者や顧問の先生などがよく訪れていました。
最高ランクの特待生としてバッテリー2人で来てほしい。
そんな話が幾度とあったそうです。
しかし彼はその誘いを断り僕とともに地元の高校に進学するのです。
用意された最高のレールから外れ、あろうことか中学校時代全く無名の控え投手と同じ高校に進学することを決断したのです。
実力者が地元の高校を選んだ理由
なぜ強豪校が注目するほどの実力のある彼が僕と同じ高校に進学したのでしょうか?
これは高校を卒業した後に彼が話してくれたのですが、もちろん彼は強豪校に進学しその力を試したい、甲子園に出たい(僕は甲子園なんてまったく考えもしてませんでしたか・・・)と考えていたそうです。
でも彼はそうはしなかった。
〇〇と一緒にバッテリーを組みたかった。
半端な気持ちで高校に入学した僕と・・・
なんと決断の理由は僕の存在だったのです。
彼は当時注目されていたエースとは別々の道に進むこととなりました。
★〇〇にまだまだ伸びる可能性を感じた。
★ずっと一緒にいたからバッテリーを組んでてもなんでも感じ取れた(投げたい球や得意な球種 など)
★バッテリーを組んでてワクワクするのが〇〇だった。
★〇〇の適当な性格を知っているからリードのやりがいがあった。
親父か!!wwwww
と突っ込みたくなるくらい彼の僕に対する愛情を感じました(笑)
高校野球でも際立つ彼の実力
僕は彼と同じ高校に進学し一年生からレギュラーをつかみます。
彼と僕がバッテリーを組んだのは二年生からなのですが、彼は一年生からレフトで一番とチームの主戦力として夏の大会にもスタメン出場します。
彼は一年生の頃からよく打ち、もちろんその強肩と足の速さで初めてのレフトの守備も難なくこなしていました。
二年生になってチームの正捕手として監督の右腕のような役割を果たしていました。
三年生になってからは満場一致でキャプテンに就任。
三年間甲子園には出場できませんでしたがその実力は十分発揮できたのではないでしょうか?
★彼にはサインがなかった(打席時もキャッチャーの配球時も彼にベンチからサインがでることはなかった)
★チームで一番の俊足で盗塁数も圧倒的にチーム一だった。
★三年間ずっと先頭打者を務め続けた
彼の実力がチームの中でも群を抜いていた事が分かりますよね。
彼と僕がバッテリーを組んでからのエピソード
僕は彼がとても大好きでおちょくるのも大好きでした。
★公式戦で投げたことないボールを急に試す(首を振り続けサインが一周して彼が困惑する)
★変な事をする時以外はサインに首を振ったことはない。
こんなこともありました。
★先発は〇〇じゃないと勝てない!!と監督に直談判(監督もその思いを採用する)
★強豪校と対戦するときは舐められないように初球は真ん中に思いっきり投げると二人で決める。
彼とはバッチリ息が合っていました。
投げたいときに投げたいコースを要求してくれる。
そして彼は監督と共に僕の長所を伸ばすためにどうすればいいかを話し合うほど選手を見る目もありました(監督業に向てるのかも)
彼がいたから僕は高校で投手として大幅に成長できたのだと思います。
★僕の高校の恩師の話も紹介させていただきましたのでご覧ください★
彼と僕の今
今でも一番の親友として彼は大事な存在です。
『一生の親友』
僕にとってそれは彼なのだと思います。
そして今でも同じチームでたまに野球をしています。
当時は彼の実力がすごすぎて野球に関しては何も文句のつけようがありませんでした。
しかし時は経ち僕の方が少し動けていたりします(笑)
今は野球を楽しくプレーし、彼が三振すると「オーーーーイ!!!!」とかおちょくったりしています。
さいごに
今回は僕の野球人生に大きな影響を与えてくれた『女房』を紹介しました。
彼とは今でも当時の事を話すことがあります。
エースと一緒に進学してたら甲子園でキャッチャーしてたかもねーー(笑)
なんておちょくったりしています(エースの彼は見事甲子園に出場します)
しかし彼は『〇〇と一緒に高校野球ができたから後悔はないよ』
いつもそんな事を言ってくれます(その言葉が欲しいのかも)
これからも一生の友人として付き合っていきたいと思います。
彼が書いた野球ノートには当時監督も驚いたと話してくれた事がありました。
当時こんなことを書くチームメイトはいなかったと思います(チームの戦力としては甲子園を目指すには少し厳しい現状でした)
『どうしても甲子園に行きたいです』
彼が書いたその言葉に僕の恩師もびっくりしたそうです。
彼が下した大きな決断が正解だったのかは分かりません。
僕にとっては一生大事にしたい彼との野球での思い出です。
やっぱり野球っていいな~( ^)o(^ )
ではみなさん、良い野球ライフを!